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第一幕 繋いだ手

last update Tanggal publikasi: 2026-02-05 06:00:05

 あの日、僕はアイドルを見つけた——

 入学して、まだ一週間も経ってない教室は、どこかよそよそしい空気のままだった。

 ホームルームまで、あと十分。クラスメイトたちの声が、まだ馴染めていない名前と一緒に飛び交っている。

 僕は窓際の席で、ノートを開いて絵を描いていた。

 ノートの上で、ステージに立つ女の子が躍動していた。マイクを握り、笑っている。上手くはない。でも、描いていると張っていた肩の力が抜ける。

 喧騒が遠くなる。ペンを動かしてる時間だけは、呼吸が楽になる。

「……それ、桐谷きりたにくんが描いたの?」

 突然、後ろから声がした。

 振り返ると女子が一人、僕の背中からノートを覗き込んでいた。

「……!」

 僕は、すごい勢いでノートを閉じた。

「あー、待って待って」

 全身で待ってを表現している女の子。

 確か——

結城ゆうき、さん……だったよね?」

「うん! 結城沙友里ゆうきさゆりだよ」

 結城さんは、穏やかに微笑んだ。

「ねぇ、さっきの絵。見せて」

「え……で、でも……」

「いいから」

 反論を許さないその圧に負け、僕はノートを開いた。

 結城さんは、目を輝かせて見ている。僕の背中から冷たい汗が吹き出す。

「……すごい。本物のアイドルみたい」

 動きが止まった。

 上手い、ではなかった。アイドルだと言われた。

 それが、何より嬉しかった。

「結城さんって、アイドル好きなの?」

「うん! 歌もダンスも好き」

「へぇ」

 クラスの女子と、こんなに長く話すのは初めてだ。

「桐谷くんは? 絵、ずっと描いてるよね」

「……輝いてるから……好き、だよ」

「そうなんだ……」

 結城さんは、もう一度ノートに目を落とした。

「この子、すっごく楽しそうに笑ってる」

 技術ではなく、表情を見てくれた。それは僕にとって、最上級の褒め言葉。

 胸の奥が温かくなった——

 それからは毎日のように、結城さんと言葉を交わした。

 僕は漫画研究部、結城さんはダンス部に入り、帰り道もよく一緒になった。好きな音楽の話、漫画の話、学校の話。話題は尽きない。

 結城さんは笑う時、少しだけ目を細める。嬉しい時も、照れた時も。

 その笑顔が好きだ。

 鼓動が高鳴る。

 なのに、結城さんの隣は不思議と落ち着いた。

 五月の終わり頃、帰り道に大型ビジョンがアイドルを映し出していた。結城さんが立ち止まる。

「いいなぁ……」

 ため息混じりに呟く。

「実は私、アイドルに憧れているんだよね」

 何故か、結城さんの視線が泳いでる。

「向いてると思う」

 僕は即答していた。

「え?」

「人を惹きつけるの、上手いから」

 結城さんは大きな瞳を、さらに大きく見開いた。そして、いつものように目を細めて笑った。頬が少しだけ朱色に染まっている。

(可愛いな……)

 教室でも目立つ結城さんは、すでにクラスのアイドルだ。彼女と話していると、男子からの視線が刺さる。

「桐谷くんは? 漫画家、なりたいんでしょ?」

「そう、だね」

「絶対なれるよ」

 迷いのない声だった。

 結城さんはいつも、僕を認めてくれる。真っ直ぐに言葉を渡してくれる。

 だからこそ——

「いつか……ステージにいる結城さんを、描いてみたいな」

「……えっ」

 僕は画面の向こうで踊るアイドルを見上げながら、心臓の音を聞いていた。

(そうか、そうだったんだ……)

 僕は初めて自覚する。

——彼女のことが好きだ。

 六月、梅雨の晴れ間の夕方。

 いつもの並木道を、いつものように二人で歩いている。

 沈黙すら愛おしい。

 そんな当たり前で、特別な時間。

「……ねぇ、桐谷くん」

「ん?」

「今日、麻衣まいに聞かれたんだけど……」

「何を?」

 結城さんは立ち止まった。一拍遅れて、僕も立ち止まる。振り返ると、彼女は顔を少し伏せていた。

 その様子に、僕は胸が騒いだ。

「ど、どうしたの?」

「……私たちって——」

 彼女は顔を上げた。

「私たちって——付き合ってるの?」

 僕の心臓が大きく跳ねた。

「ほとんど毎日、一緒に帰ってるし……こんなに話す男子、桐谷くんだけだよ」

 頭が働かない。ダメだと分かっていても、言葉が出てこない。

 彼女は、真っ直ぐな瞳を伏せてしまった。

「私は……そのつもりだったけど……」

 その言葉が、僕の胸に刺さった。

(僕は……バカだ!)

 顔が熱くなる。

 鼓動がうるさい。

 彼女の笑顔が消えている。

 伝えないと。

「僕は——」

 彼女の視線が動いた。

「結城さんのことが——好きだ」

 その言葉が、二人の間を繋いだ。

 彼女の瞳が見開き、その輝きを増す。僕は目を離せない。

 彼女が少しだけ目を細めて笑う。

 初めてみた時から、ずっと好きだった笑顔。

 頬を流れる雫だけが、いつもと違う彼女を魅せていた。

「やっと……言ってくれた」

 その日の帰り道、僕たちの距離は少しだけ近くなった。

 実感は、まだ湧かない。声が上擦り、会話が続かない。沈黙が、胸を高鳴らせる。

 信号が赤になった。

 彼女の手が、僕を探していた。だけど、途中で指が止まる。

 僕は——その手を繋いだ。

 小さくて、柔らかい。

 そして、少し震える指先。

 全て、初めて知った。

 彼女が微笑む。

「……なんか、照れるね」

「……うん」

 僕も多分、笑顔を作れている。

 夕日が、二人を同じ色に染めていた。

 やがて、信号が変わり、僕たちは手を繋いだまま歩き出す。

 僕は、その手を少しだけ強く握った。

——ずっと、離れることがないように。

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